[解説]


人間くささがあるから、「再景」「現景」ではなく「情景」なのです

石黒謙吾(著述家・編集者)

「自分で<凄い!>と言ってるみたいで気恥ずかしいのですが……」謙虚な荒木さんは、僕がすぐに思い浮かべた書籍タイトルに対して、そう、面はゆそうに。いやいや、こんな凄い作品をを世に出しているのですからと返しましたが、まさに、初めて「ゴミ袋をつまむ指」がジオラマだとわかった瞬間、「凄い!」と呟いたあと二の句が継げませんでした。 ツイッター経由でその写真を見つけたのは2014年9月下旬。「ん? CG?」ネットで拡散中だったそれを見た大多数の人が僕と同じことを考えたでしょう。記事を読みそれがジオラマだと知るやすかさずググって荒木さんのブログに飛ぶ。作品の数々をざっと流し見ると5分もしないうちに「本をプロデュース・編集させて頂けませんか?」とメールしていました。それほど、ジオラマ制作のレベルが衝撃でした。 それがいかにケタ違いであることがわかるのは、僕もママゴト程度ながらジオラマをやっていたから。プラモマニア御用達の定期冊子「タミヤニュース」創刊と同じ年1967年に小学校入学後。すぐにプラモデルにハマり、5年生ではジオラマ(ミリタリー)に目覚めます。ジオラマ真を集めたタミヤ『パチッ特集号』を枕元に置いて眺め、大人は凄いなあとため息をつく日々。聞けば荒木さんも同じような日々を送っていたようです。中1の時、金沢市内の模型店のコンテストで金賞を取ったりもしましたが(デカいだけで努力賞的に……)、それ以降は、街中で見かけるジオラマを横目にいつか作ってみたい、とぼんやり思う程度。 ジオラマ愛を忘れたそんな40年間の空白が一瞬で掘り起こされ、なんとしても本に残したいと衝き動かされたのは、ハイレベルな再現だけではありません。作品群どれを見ても、隅々に「情緒」がこぼれ出しているからなのです。ジオラマは「情景」、つまり情緒的な光景ということ。正確に再現するだけなら「再景」とか「現景」などのほうが合っている。  情緒とは、人間くささだと考えます。人間・荒木智に40年以上にわたって堆積してきた、体験、記憶、感性、思考、情念……など脳と心に残る雑多ないろいろ。その目に見えぬものたちが混ざり合い発せられる匂いが、荒木さんの作品からはもうもうと立ちのぼってきます。この本に書かれている、自ら設定したドラマのディティールを知らずとも、「模型と思えないほど生っぽくて、今にも動き出しそう」と感じませんか?そこに時間が流れている。 そして、細部に温度や湿度や息づかいが吹き込んでいるのは、荒木さんの興味対象と喜怒哀楽の振り幅の広さだと思います。実は、初めて出したメー ルの返事に、僕が作った書籍『マン盆栽』(パラダイス山元)や、『フォトモ』(糸崎公朗)などジオラマエッセンスたっぷりのシリーズ始め、まったく違う毛色のものまで何冊もお持ちだとあり、とても嬉しかった。その後、ご自宅に打合せに伺うと、あるわあるわ大量の本。ジャンル多種多様、写真集や絵本など僕のツボに入るものもたくさん教えて頂き盛り上がりました。 幅広い事象への興味は、すなわち幅広い人間への興味です。人に対するリスペクトの視線があるからこそ、動かぬ模型に感情が注入され、動き出す。「情」を携えた「景」は、そんなとてもエモーショナルな「師」によって浮かび上がる。「情景師」という唯一無二の肩書きに、僕は勝手にそんな解釈を込めています。