プロフィール
石黒 謙吾
著述家・編集者・分類王
1961年 金沢市生まれ。書籍の執筆と、プロデュース&編集を。
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●星稜高校ではあまりのハイレベルに尻込みして野球部を断念。
(本田圭佑氏の26学年上、松井秀喜氏の14学年上、馳浩氏の1学年上、小松辰雄氏の1学年下)。
●卒業後は上京し、名曲喫茶で働きながら油絵描いて芸大3浪。1年目だけ御茶ノ水美術学院、あとは宅浪=ドロップアウト。その後、出版の世界に。
●講談社『PENTHOUSE』記者、『Hot-Dog PRESS』編集者を経て、書籍作りの道へ。
●2008年に復活した、新生・全国キャンディーズ連盟代表。
●日本ビアジャーナリスト協会・副会長。
●草野球歴38年で年間30試合というバリバリの現役プレーヤー。草野球チーム「星涼」 代表・監督・投手・捕手・内野手
●高校野球とビールと犬と銭湯とキャンディーズ、そして熱いモノすべてが好き。
●著書では、『盲導犬クイールの一生』が映画化もされましたが、
むしろカルチャー系が本線。
『分類脳で地アタマが良くなる』『2択思考』『7つの動詞で自分を動かす』
など思考系。
さまざまな図表を駆使し森羅万象を役に立たない方向に(!?)チャート化する『図解でユカイ』『2択チャートde心理診断』『カジュアル心理学』など分類王系。
『ダジャレ ヌーヴォー』『ナベツネだもの』『エア新書』『ぞりん』『すべらない偉人伝』『バカには絶対解けないナゾナゾ』などサブカル系。
『キャンパスに蘇るシベリアの命』 絵本『どうして? 〜犬を愛するすべての人へ〜』などシリアス系。
ほか、『ベルギービール大全』『CQ常識力テスト』短編集『犬がいたから』『犬声人語』
など硬軟取り混ぜも50冊ほど。
●プロデュース・編集したものでは、
『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一、菊池良)、
『ジワジワ来る○○』シリーズ(片岡K)、『負け美女』(犬山紙子)、
『読む餃子』、『飛行機の乗り方』『マン盆栽の超情景』(以上ーパラダイス山元)、
『ネコの吸い方』(坂本美雨)、『ナガオカケンメイの考え』(ナガオカケンメイ)、
『やさぐれぱんだ』(山賊)、『豆柴センパイと捨て猫コウハイ』(石黒由紀子)、
『おいしいご当地スーパーマーケット』(森井ユカ)、
『凄い!ジオラマ』(情景師アラーキー)、『女性タレント・ミシュラン』(今井舞)、
『人が集まる「つなぎ場」のつくり方』(ナカムラクニオ)、
『氣志團現象』、『眺めのいいカフェ』(山村光春)、
『犬しぐさ犬ことば』(雲がうまれる)、
『出現! フォトモ』(糸崎公朗)、『フキダシたいの。』(金子ナンペイ)、
『君のニャは、』(八ニ一)など200冊強。
●ニッチでまだ世に出ていない人やネタを形にするのが快感と、
「自分の本棚に置きたいな」をモットーに作ってきた本は
23年で250冊という感じ。
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[ミニ仕事関係史]
●高校時代は、野球やらず、美術部部長と應援團ヘルプとか。
キャンディーズ追っかけに費やし、バイト三昧で、全国で100ステージ参加。
[ココ]にキャンディーズ活動状況まとめ。
2年の時、家が差し押さえに遭い、3番目の母親と、ホンモノの夜逃げ。
まったく受験勉強せずに無謀にも東京芸大油絵科に挑戦。
●18歳で上京後、名曲喫茶のアルバイトを3年半。2000人収容の巨大喫茶店で
毎日ナポリタンやパフェを何百と作る。調理師免許も取る。
●お茶の水美術学院で浪人生活入るもすぐに授業料も払えずドロップアウトし、
日々、バイト、麻雀、酒、競馬、パチンコ、同棲とただ怠惰に3年間過ごす。
●21歳、このままじゃ人生おしまいと一念発起し、絵がダメなら雑誌だと、
「日本ジャーナリスト専門学校」総合科3年制に入学。
●ここだけは人生で唯一ちゃんと学校通う。
野球部創設したことが評価されただけで総代で卒業。
●在学中に、「時事通信社 運動部」でプロ野球記録とスポーツ記事のアルバイトを始め、
2年間、スコアブック読みながら1打席ごとにマークシート入力する秒単位の仕事。
もともと野球オタクだったので、プロ野球選手の名前と背番号は余裕で暗記していた。
●22歳、在学中に角川書店『バラエティ』誌で手伝いをやる。
その流れで卒業後、契約社員として編集者見習い丁稚的に編集部に。月給8万。
なんとなく雑誌の雰囲気が水に合わず半年そこそこで、アテもなくやめる。
●同時に、先生からの縁あって、講談社『PENTHOUSE』誌で、データ取材などライターの見習い的仕事を。
当初は、月に、1P分の原稿料2万だけということもザラ。
●硬軟取り混ぜた誌面が肌に合い、いつのまにか事実上常駐フリー状態に。
人物インタビュー連載、野球&スポーツ、トレンド情報モノ、AVグラビア企画モノなど。
ライター仕事だけでなく、編集者的な仕事の割り合いも増えていく。
伝説の「袋とじ」企画も手がける。溶ける紙グラビアなど。
●27歳、4年やっていた『PENTHOUSE』が、売れていたが会社の事情で休刊に。
『FRIDAY』『週刊現代』『Hot Dog PRESS』の各編集部からお誘いいただき、
待遇面ではもっとも条件がよくなったが、
契約記者ではなく、契約編集者として仕事ができることで『Hot Dog PRESS』に。
●『Hot Dog PRESS』では「女のコ特集」「企業タイアップ」「タレントグラビア連載」を担当。
朝帰って昼来る生活で、一生で一番仕事量が多かった4年間。
●32歳で退職後は、どこにも所属せず完全フリーに。
パッケージ感が好きなので、雑誌より書籍に方向を定め、
好きな本を残していきたい、というセンで無理せず趣味的に書籍を
プロデュース、構成、編集しはじめる。
事務所は渋谷の宇田川町〜松涛で18年間。
●36歳で、(有)ブルー・オレンジ・スタジアムを設立。
●37歳の時に出した著書『チャート式 試験に出ない ニッポンのしくみ』が
クリエーター中心に高評価。
「HOT WTRED」連載はじめ、分類王の記事を作るようになる。
●社員を取る気はなかったが、希望者がくると入れていき、その後3人まで増える。
しかし予想通り、給料を生み出すためなおさら忙しくなり、
なかなか好きなことだけできないのでやめたら取らずにいて、
10年経った50歳の時にまた1人に。
●40歳の時に出した著書『盲導犬クイールの一生』が売れ始め、3年間で87万部。
6年かかり、9社に断られ、初版6000部という、
僕自身も売れ行きはまったく期待していなかった本だった。
●作りたい本が次々出てくるのと、社員がいると仕込まねばならず、
著書がたまる一方になったので、自分的には「編集者やめた宣言」し、
プロデュース・編集の本をいったんキレイになくす。
●と、「編集者やめた宣言」したつもりが、やはり作りたいものが途切れず、
やはりまだ少しずつ増えていってしまう。
●51歳、2010年、重い腰を上げブログサイトをオープン。
●2012年、飼い犬の豆柴センパイが7歳になり犬生折り返したなと考える。
保護猫のコウハイも2歳。事務所通いをしていると
家にいる時間があまりにも少なく2匹と一緒にいられないと、
自宅で仕事をすることに。近所に書庫・倉庫的部屋を。
●56歳、2017年、ブログリニューアル。著書は相変わらず溜まりっぱなし……。
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