メシっぽい呑みと呑みっぽいメシ
タイトル書いて見たら「たけやぶやけた」的な字面であることに気付く。
緑青と青緑の違いを教わったのは中学1年、
美術の授業で12色環について説明された時だった。
赤・橙・黄橙・黄色・黄緑・緑・青緑・緑青・青・青紫・紫・赤紫、、、
ときて赤に戻る。
すらすら諳んじた女の先生がかっこよかった。
知性、みたいな印象で。
先生はこう言った。
「青味がかった緑は青緑。緑がかった青は緑青。わかりますね?」
(うーん。なんか、逆みたいな気がするなあ)
耳で聞いてもその時点ではもやもやしてぴんときてなく、
結局、わかったような気になっただけだった。
その後、美大目指して油絵描いてたので
さすがに、色そのもの違い、絵の具の混ぜ方は感覚的に知っていたけど、
人に説明する機会などあるはずもなく、
言語的にはちゃんと理解しないまま大きくなった。
そんなことは忘れたまま時はぐぐぐっと流れて結婚後。
カミサンと休日の夜に外でメシを食う時、
どこで食べるかという段になると、よくこんな会話が交わされるようになる。
妻「どうせビール飲むんだから居酒屋でいいんじゃないの。焼きそばとかあるし」
僕「ないない。それ<メシっぽい呑み>じゃん。
休みの晩飯はやっぱ<呑みっぽいメシ>にしたい」
妻「おんなじじゃん」
僕「違うんだよ。とんかつ屋でじわじわカツ食ってそこそこビール飲んで、
最後にライスとみそ汁とかそういうのが<呑みっぽいメシ>」
妻「だっだら、居酒屋でまったく同じメニュー頼めばいいじゃん」
僕「NO! 居酒屋に入る行為がすでに<呑み>の範疇。範疇ブレーブス…なんてな」
妻「(完スルーしつつ)何が違うの? わかんないなー」
僕「違うの。シチュエーション込みで感じるのが…」
この会話、料理のアイテムや店のジャンルだけ差し変わって
何度繰り返されてきたであろう。
仕事してる日は、誰かと会う時は別にもうどっちだっていい。
呑みなら呑みでも、メシならメシでも。
ただ、完全にオフで、夜特にマストの用件もない時、
無性に充実感が湧き上がり、
「早めにじわじわ飲みながら食べて幸せを味わいたいぜ!」となる。
だから、メシだけでは味気ない、かといって、飲み屋にいる気分になりたくない。
呑む店だと、だらだらたくさん呑むものという刷込みがあるのか、
ちゃんと食べても胃袋に満足感が浸ってこない。
しかもその前に風呂は必ずのんびり入っておきたいという駄々っ子ぶり。
この違いがカミサンにとっては言いがかりに等しい不可解な論旨のようである。
しかし、そこは分類王としての矜持(笑)。
明確な尺度、基準を示す。
<メシと飲み、どちらに軸足を置いたジャンル&店であるか>なのだよと。
その店の大元の姿勢として、おまけで酒を出すのか、おまけで食べ物出すのか、
ということであり、その観点から分類してみたのが以下。
<呑みっぽいメシ>
とんかつ屋、お好み焼き屋、そば屋、うどん屋、中華屋、
焼き肉屋、ホルモン焼屋、イタリアン、エスニック全般、
ビアレストラン、割烹、寿司屋、ハンバーグ屋、餃子屋、
スパゲティ屋、
<メシっぽい呑み>
居酒屋、焼鳥屋、ビアバー、小料理屋、和食ダイニング系、
ダイニングバー、
<呑みだけ>
バー、
<メシだけ>
ラーメン屋、ファミレス、カレー専門店
ざざざっと思いつくままフランク・大ざっぱに分けてみた。
細かいこと言うと、お店の雰囲気で変わることもあるけどだいたいこんな感じ。
<メシだけ>ってのは、ビールは当然飲むけど、
飲んだ気にならない&飲みとカウントしたくない、という設定の店。
こう見てみると、食べることが主体の店のジャンルは圧倒的に多い。
しかし、店の絶対数では、居酒屋もしくは洋風でもそれに類する店含めて、
匹敵するのではないかと思う。
だから、街を歩いていて、「ここでいいんじゃない?」
と来ると「あ、そこ? ないない」となるわけだ。
このように僕としては明快な論理を展開するが
カミサンはばっさり却下である。
「そういうのが、屁・理・屈だって」
僕の事務所で6年間共に過ごしたイノケンも
何度となくこの「呑みっぽいメシにしようぜ」を聞いて
「感覚、わかるよな?」と問われたが
常に「わかりませんねー」であった。
たまに弱気になり、「やっぱ屁理屈かなあ」と思ったことがあり、
その時に思い出したのが、青緑と緑青の違いであった。
ああ、話が結びつくまで長い道のりであった。