いのちについて、そして魚に謝る姥
あさって2/5、
昨夏から作り始めた渾身の本が刊行になります。
著書ではなくプロデュース・構成したものです。
手前味噌ながら、多くの人が、
人間らしい気持ちを取り戻せる本になったと思います。
今日はここを読んでいただいているみなさまに、
平に伏してお願いがあります。
臆面もなくただがむしゃらに言わせていただますと、
ひとりでも多くの人に手にとっていきただきたく
リンクやメールなどでの告知に、ご協力いただけませんでしょうか。
世界中で起こっている、戦争、殺人、傷害など凄惨な事件。
それは、本来すべての人間が本能として携えている、
いのちに対するいたわりを失ってしまった人がいるからでしょう。
あたたかな気持ちを失わなければ、
まずは人が苦しませないことを立脚点として物事を判断するはず。
特に子供のうちからその感覚が麻痺すれば
子孫の時代には地球はどうなってしまうのか。
おそろしいことです。
いのちは、人間にだけあるものではありません。
生きとし生ける生物すべてにあるもの。
いのちの価値は、どんな小さくても、
言葉を話せなくても平等にかけがえのないものです。
昨年作った本
の中に出てくる津軽の姥の話。
<台所で料理している時、カッカはいつも魚に「わりな。わりな」>と謝っていた>
このくだりを読んで涙してからは、
虫も叩かずに窓から追い出すようになりました。
先週、4年がかりでやっと通った企画、シベリア抑留者の本では、
戦争で悲惨な目に遭い、ロシアの凍土に埋められていった
日本兵の暮らしを描いた油彩画87枚が、
いのちを消し去っても平気な人がいたという事実を突きつけてきます。
逆に、日本人とて、昔から、外国の人々のいのちを奪ってきました。
第二次大戦の侵略地でのことはもちろん、
豊臣秀吉が朝鮮半島で行ってきた許しがたい行為を知った時は
日本人であることがいたたまれなくなったものです。
少し話が逸れましたが、
あたりまえのように流れる日々の凄惨な事件のニュースで、
いのち、は、最上級にたいせつなものであることを見失いそうになります。
打算や憎悪で対立し争う人間同士に対しては、
感覚が麻痺してはいないでしょうか。
物言えぬ、抵抗できぬ、無償の愛情でつながる動物たちをいたわる気持ちは、
人に対するあたたかな目線にも必ずつながる。
この本でそんなことを感じ取ってくれる人が
ひとりでも増えてほしい。
そう強く願っています。
都内書店20軒を、写真入り自作POPを手にあいさつ周りします。
みなさまも、いのちの尊さを忘れない社会を願って、
どうか、応援のほど、切に、よろしくお願いします。