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2014.8.20 野球部

主役は常に、控えも含めた選手たちです。高校野球への見識と論考の浅さで迷惑がかからぬように

星稜敗れました。光星、おめでとうございます。少しのスキを見逃さず、強かったです。
7/27県大会決勝9回でいったんなくなっていた夏。
そのあと、3試合も最高の舞台を楽しませてくれた35学年後輩たちに感謝です。
應援して頂いた皆様ありがとうございました!

久しぶりのブログです。
星稜のこともあって仕事しててもなんだかそわそわしっぱなしでしたが
どうしても書いておきたいと思ったことがあったので。
野球を愛する者として、また、物書きとして、
世の中に、アマチュア(特に高校)野球界に対してヘンな誤解を招かれぬようにと。

おととい読んだ、広尾晃さんのブログの内容についてです。
広尾さんのブログ<野球の記録で話したい>は、
その名のとおり、メジャーリーグ、日本のプロ野球などを
オリジナリティ溢れる記録分析によって
鋭い論考を展開する記事で大変面白く読ませて頂いてます。
中1で、『週刊ベースボール』連載されていた
宇佐美徹也さんの記録記事の面白さにハマり、
時事通信社運動部で、プロ野球記録のアルバイト2年間でさらに奥深さを知った。
そんな身としては広尾さんのブログは実に楽しいものであり
独自の論考を展開しようとする姿勢、リスペクトしています。

しかし、記録、現象を分析し深い記事を読ませて頂ける広尾さんですが
こと、アマチュアの件についてはイメージ先行で書かれていると感じます。
つまり、巷間なんとなく漏れ伝わった断片的情報から
主観ありきで書かれている印象です。
しかしそれだけなら、書き手の自由ですし
こうしてとりあげようと思うほどでもないのですが、
今回、看過できないなと痛切に思ったのは、
<純粋に野球に打ち込み関係者、そして、
なんといっても楽しんでいる選手たちに迷惑がかかる>からです。

それがどういうことなのか、問題点はたくさんあるので
広尾さんの記事中からひとつづつピックアップして説明していきます。
大変残念ながら、かなりの部分は、
広尾さんが実態を知らぬまま、昔のイメージで書かれているからだと考えます。
僕は、野球の仕事は少ないながらも、なにより野球が好きで
指導者の方、アマチュア野球関係者、野球ライター、編集者、
の方々とは多少なりとも接点あります。試合、練習など現場もたまには行ってます。
そこから見聞きしていることとの大きなズレがあります。

加えて書きますと、どうも全国4000校のうち
<甲子園というテレビに映る100分の1について>
の見方であって、予選1回戦突破目標の実態をイメージし、併せて
<高校野球>を語っていると思えずで。

まず、記事全文を先に、という方はこちらで。
<真っ白なユニフォームのまんまの球児たちに思う 上>
<真っ白なユニフォームのまんまの球児たちに思う 下>
上の2つがメインですがこれも参考まで。
<甲子園出場校の野球部員数>

では、ここからは、<抜き書き引用>で、それぞれに説明を。>
朱字が引用文8/20 19時コピー

・・・・・・・・・・・・・・・

<真っ白なユニフォームのまんまの球児たちに思う 上>

昨日の甲子園2回戦、健大高崎と利府の試合。健大高崎の応援席のレポーターが、野球部員のユニフォームの袖を取って
「このユニフォームとベンチ入りしている選手のユニフォームはデザインが違います。
ベンチ入りする選手だけは漢字のユニフォームを着ることができるのです」と言った。
ユニフォームと言うのは、同じデザインの服をみんなで着用することで、連帯感や協調性を生むためのアイテムだ。
そのユニフォームを区別すると言うのだ。この学校はチームとしての一体感を醸成する気はないらしい。
よく「ベンチも応援席も心を一つにして応援しています」と言うが、それが口先だけであるのは、こういうことからも察することができる。

この論法がよくわかりませんでした。
そもそも、ベンチ入りして背番号をもらうことがほとんどの生徒の目標です。
(なぜ、全部、と書かないか、わかる人にはわかるでしょうが後述します)
その時点で、もはや違うものなのですから、
これはたんに<正装>、フォーマルであるというだけのことです。

そのユニフォームを区別すると言うのだ。この学校はチームとしての一体感を醸成する気はないらしい。
これもかなり荒っぽいです。
2年半一緒にやってきた仲間がハレの舞台に立つ。
そこに、差別意識を持つほど、選手たちはひねていない。
野球強豪校云々関係なく、やっている本人たちの大部分は
計算打算などより、純粋に野球が好きですから。

僕は53歳になりましたが、この37年間毎週草野球をやってます。
ちなみに、中学バレー部だったのに星稜に入って野球やりたいと思いましたが
練習見てすぱっとあきらめました。
小松辰雄さん、ひとつ上でしたが、あの球見てこれはとんでもないと。。。
その後悔で(笑)ずっと草野球やってます。

仲間には、甲子園に出た人、強豪校で控えだった人、進学校でレギュラー、
進学校で控え、悪い学校でテキトー(笑)、とかいろいろいますが
みんな、試合に出なくても、サポートなど役割分担きっちりして
<チームが勝つ喜び>を共有しようとします。
健大高崎の選手たちは、ユニが違う程度のチンケな理由で差別感感じるほど
ぬるい練習を積み重ねているわけではないはずです。

よく「ベンチも応援席も心を一つにして応援しています」と言うが、それが口先だけであるのは、こういうことからも察することができる。
この部分、主体がわかりませんでした。
<よく>というのは一般論だと思いますが、
<それが口先だけである>は健大の学校や監督の方針をという解釈でいいのでしょうか?
また、<察することができると>のは広尾さんがということなのか一般にそう見えるはずということなのか。

相撲の世界は番付一枚違えば天国と地獄。
十両以上の関取衆は繻子のぴかぴか光った廻しを締めるが、幕下以下の取的は木綿の黒や茶色の汚い廻しを締める。髷も関取は大イチョウ、取的は栗髷。
一目で強いか弱いかが分かるようになっている。
プロであり、勝負の世界である相撲の世界はそれでいいだろうが、教育を標榜している高校野球がこんなことをしていいのか。

僕は、小学校5,6年と空手を習ってました。
級が上がると、帯の色が、白から、紫、茶となって、初段取ると黒になる。
これは憧れました。早く、色つきの帯締めたいなあ、
と仲間と言いつつみんながんばります。当然プロのわけがない。
スポーツ以外の話しでは。
上京後、芸大浪人してたのですが、受験用石膏デッサンを仕上げると
うまい順に上から張り出される。つまりこれ、偏差値と一緒。
いやー、上の段の人は違うわ、うまくならないと!と思うか
落ちこぼれるかいろいろで僕は後者でしたが(笑)
このシステム自体に差別感を感じたことはなかったです。
実力を知らしめてくれることですし、現在の偏差値は
グラデーションで数値化していますが、ユニフォームは線引きを明確にしている
という違いでしょうか。

たかが野球ができるかどうか(しかも16~7歳の時点で)で、区別される。球場周辺をうろついていても、
「あいつは野球が下手なんだ」
「ベンチ入りできなかったんだ」
とわかるように、ことさらする。
こうしたことが、教育の名のもとに堂々と行われ、公共放送が美談のように伝えているのだ。

これは観る側の意識の差ではないでしょうか。
僕はそもそも、ヘタだからといってその人をどうこう思いません。
それこそ、プロじゃないですからなおさら。
そしてこれは野球に限らずすべてに近いのでは?
全種目観てはおりませんが。
教育の名のもとに
↑これながーくなるので控えますが、こういう言い方、現在、どこでしてますかね?
僕は、人間教育だと思ってますし、指導者の方々、心からこう考えているのは
いつも接していて体感でわかります。
しかし、ことさらアピールしてることでもないし、
こういう言い方をふりかざしてるのはメディア側ではないでしょうか。

そもそも野球は9人(DH入れても10人)でしかやらない。控え選手を含めても15人、怪我をすること考えても20人いれば十分なはずだ。
部員総数100人を超すような高校は、何を考えているのだろう。

何を考えているのかと問われれば、
<入りたいと志望してくる選手を断るわけにはいかない>
と答える関係者も多いことでしょう。
智弁和歌山、高嶋監督のように、1学年の人数を絞り込むのもひとつのやりかた。
否定も肯定もなくワンウェイだと考えます。
たぶん、ほっといたら、入部(入学)希望者はいくらでも来る(笑)。
<あの学校で、あの指導者のもとで野球がやりたい!>
と私立強豪はもちろん、公立だって、各校なりにたくさんいるはず。
たぶんですが、人気高はそれでも、親御さんに前もってしっかり説明し、
他校を薦めることも多いはず。
いまは一時期ほど、集中してない時代になってます。
100人が珍しくなかったけど、30年、20年前よりはかなり分散してますね。
中京かな、200人、広商150人とかの数見慣れてたし。

スカウティングはたしかに強豪校はやってますが
全員そうやって入ってくるものではない。
ましてや、セレクションで落ちれば、いい意味で入れないとかも。
これは現実的にいいことでもあると思う。

いまや、ボーイズ、シニア、中学などの選手も親御さんも
高校進学に関しては、みんなかなり早い段階から
情報収集し、勉強し、実力を鑑みながら、慎重に選んでいきます。
特に甲子園に出るような選手は。
そして、それこそ、<甲子園には出たい、でも、自分がそこでどの程度やっていけるか>
は、かなり悩んでいます。
もちろん、指導者の意見は最重要視するものの
納得できないのにそれだけ鵜呑みと言う人は少ないでしょう。

たとえば、大阪はかなり有望選手が全国に散っていく。
当然、甲子園への可能性と、自分のレギュラーを望んで。
力不足とわかっても行って、ベンチ入りできなくても3年間
やりきる!と言う確固たる覚悟でいく選手も多いです。

100人の部員とかわかっていても、
そこでレギュラーを勝ち取る”!という若者らしいマインドや
この学校、この指導者のもとで野球をやりたい!
という当事者、つまり生徒の強い<ニーズ>が
こういうことを成り立たせている。

野球強豪校は、ボーイズやリトルリーグ、中学野球の有望な選手を指導者から紹介してもらう。その指導者には謝礼をする。また有望な生徒は特待生として学費を免除する。小遣いや寮での生活費を与えることもある。
指導者は、そうした有望選手と抱き合わせで、さほど有望でない選手も強豪校に押し込む。そうした選手の父兄から謝礼を受け取ることも多い。
抱き合わせで入った生徒は、当然、学費も寮費も正規の金額を親が支払う。さらに、遠征の費用や野球部の設備費なども負担することがある。寄付も求められる。
親は欲目があるから、「ひょっとするとうちの子、芽が出るかも」と思ってそういう出費をする。
実際はそうした出費の一部は、有望な選手の「養育費」に使われている。
要するに「お客さん」なのだ。

そして↑ここが最大の問題発言なのです。
たしかに、こんなこともあるでしょうし、傾向としてはわかります。
しかし、ボーイズ、シニアに限らず、中学軟式やクラブ軟式、学童などで、
全国の大部分は、こんな陰湿なことやってないはず。
年中取材してるわけじゃないので、<はず>としか書きませんが。

アツイ気持ちでもっとピュアにやってる人が大部分で
上記のような人もまあいるでしょう、ということ。
ここはとても重要なことです。
いまネットに上記のような書き込みが溢れてると聞いてます。

控えになった選手の親御さんとかライバルチームの親御さんとか中で
ちょっとおかしな人がこの手の書き込みをして
証拠もないのに<悪のイメージづくり>をし
それに対応する、学校側や指導者、そして選手までもが混乱し
いやな気分になり、純粋にプレーする環境が壊れていく。

広尾さんのこの記事を読んだ野球好きの人が酒場で
<どうもいまみんなこうらしいよ>とかなると
それどれほど、
高校野球をいびつなものにしている
のかを考えて頂ければ幸いです。

しかし、選手の素材の違いは明らかだから、高校の指導者がそういう「抱き合わせ、無印」を抜擢するケースは少ない。
有力選手を引き立てていく中で、「無印」は、早々に選別され、「声だし」「グランド整備」などに従事させられる。
それどころか「レギュラー組」の身の回りのお世話をさせられることもあると言う。相撲の付け人と同じである。同い年や一つ二つ年が違うだけなのに、家来のようなことをさせられる。

このくだりの記述は、30年前なら肯けるかもしれません。
しかし、いまの実情からは遠いです。

<何十人もなるべく平等に練習させるのはなかなか大変(笑)>
と苦笑しながらの発言も聞いたことありますが
今、こんなことやっていたら、それこそ有望選手は来てくれない。
指導者の中には、まったく同じメニューにしている方もたくさんいます。
そこまでいかなくとも。
「声だし」「グランド整備」などに従事させられる。
これ、基本、ほとんどのところみんなでやってると思います。
中には、中心選手絵お特待してる強豪もあるようですがそれはごく一部。
広尾さんの書かれていることが普通だと浸透しては
アマチュア野球の、ひいては、日本野球界の発展の害でしょう。

部員多いところは、練習試合、基本
Aチーム、Bチームと最低2つ作ってやってます。
練習も分かれたり。そのほうが、全員のスキルアップにつながるのは
誰でもわかりますし、指導者はそうやって、下から上にあがってきてほしい。
そして選手は、A戦に出られるようB戦で結果出すよう努力する。
そういう図式です。

それと、控え選手に対して<無印>といってしまうのは
それこそが差別だと、僕は感じました。
試合に出ないことが無印なら、社会で目立てないとみんな無印になってしまう。。。

・・・・・・・・・・・・・・・

<真っ白なユニフォームのまんまの球児たちに思う 下>

多くの生徒は入学直後に、自分たちの境遇に気が付く。
特待生たちのずば抜けた才能を目の当たりにして「これはかなわない」と諦める。それからは「修行の一環」とひたすら忍従の時を過ごすか、惰性で過ごすか、よからぬことをするか。多くはそれらがないまぜになった時間を過ごす。いじめや暴力沙汰はそうした中から生まれる。

これも30年遅れた感覚です。
広尾さんが書かれているような、野球強豪校こそ、
どんなレベルか知って入学してきます。
だいたい、練習を親子で見に行ったりしますから。
そこで、監督さんと話すことだったある。
セレクションもあるでしょうし、みんな自分がどれぐらいの
実力ヒエラルキーであるか知ってます。
入学時にそう思ってからは、伸びてレギュラーになる選手もいれば
途中でやめる選手もいます。
しかし、昔より、やめる選手はずっと減ってると思います。
<ふるい落とす練習>がなくなりつつあるから。
それと、選手の意識が高い、それこそ、試合に出ること以外に
仲間と3年間共にがんばる最上の思い出を、しっかりイメージしている。
現役の選手とやりとりしてそう痛感しています。

そういう高校生活を過ごした人を何人か知っているが、異口同音に言うのは「試合には出られなかったけれど、辛抱することを学んだ有意義な3年間だった」ということだ。
彼らの健気さは麗しいと思うし、ポジティブに受け止めることができるのは尊敬に値する。
しかし、私が球児の親なら、事態を知ればすぐに子供を辞めさせる。十代の頃から「負け犬根性」が付くのが怖いからだ。しかも金まで払って。

こうした状況は、ずっと続いているから関係者は何とも思わないだろうが、異常である。
「教育」の美名のもと、野球カースト制を敷くのは、人権的に問題がある可能性さえある。

社会に出ればみんな、会社に入る、あるいは、起業するフリーランスの仕事をする。
そこにはあまねく、華やかなポジションと、そうでないポジションが存在し
華やかな場に進む人はごくわずか。
でもそれをもってそうでない人が自分を<負け犬>と思うでしょうか。
このヒエラルキーの構造と心理は、部活と同じと考えます。

考え方の違いですが、
事態を知ればすぐに子供を辞めさせる
のも、チャレンジしないのに負け犬と決めつけるということも言えそうですし。

前述した僕の草野球仲間は3年間を<辛抱した>とは言いません。
シゴキについては当然いいますが(笑)。

それから、高校3年間、ベンチ入りできなくても
大学や社会人になって、出られることもあるし
そもそも、プロに入れるのは、野球やってるすべての子の中で
2万人にひとりだとか。

上原投手が、東海大仰星時代、控えだったとか、
サッカー長友選手が、明治大で控えだったとか、
大野投手がプロ入り前軟式だったとか
そういう例もたくさんありますし。
星稜高校にも同じような人がたくさんいました。
それに大部分の選手にとって野球は人生のすべてではないです。

もちろん、高校野球の旧弊なシステムは近年、改革されつつある。開明的、民主的な指導者も増えたと言う。
しかし、スタンドにいる汚れ一つないユニフォームを着た野球部員を見る限りは、高校野球の本質は何も変わっていないと思う。

ずばり言いましょう。
変わってます。
尺度の違いは表しようないですが
広尾さんのイメージ内で変わってないのかなと思いました。
少なくとも、僕が見始めて40年ちょいで大きく変わったなと。
この10年は特に急激に。

朝日新聞の拡販作戦で、
高校生が夏休みということで始まった高校野球。
そんなことも忘れるほど、状況は複雑な問題はハラミながら
いい方向に発展しいると思います。
なにより、高校生自身が、楽しそう。
これが最大です。

しかし、メディアや外の人がわいわい言いたがりますが
いまそこにいる当事者、選手はいきいきしてますから。

僕は高校野球すべてを礼賛しているわけではありません。
酷使問題とか、イニン制限、早く手を打ってほしいなと思ったり。
でも、大枠は、非常にいい状況と考えます。

何でもアメリカが良いとは言わないが、アメリカでは子どもを少年野球チームに入れた親は、倅がレギュラーになれないと知るや、即座に子どもを辞めさせると言う。
レベルが高すぎたのなら、より弱いチームに入れる。そうしてでも試合に出場する機会を確保し、活躍するチャンスを与えようとする。

これもひとつの考え方ですし、
自分が、華やかでない場におかれて中で
どう、思いやり、連帯性、社会性を身に着ける「」というのも
チームスポーツのありようと考えます。
世界が一目置く、日本人のマナーの良さとかは関係あるような気がします。

親たちが一番気にするのは「自己肯定感」が損なわれることだ。子どもの頃から「俺はあいつにかなわない」「劣った人間だ」と思うことがあってはならない。
人生は長い。何度も挫折があるだろうし、数えきれないほど「競争」や「挑戦」をしなければならない。最初から「負け犬根性」がついていては、絶対に乗りきることはできない。
だから、レベルがどうであれ、「自分が主役」「自分がヒーロー」になれるステージを親子で必死に探すのだ。

これ、枝葉になるのでひかえますが
世の中、自分が主役になれないことが多いので
そのときにガクッとこないようにうまくやらねば、ですかね。

日本では最初から競争を降りた「負け犬」は、それなりに住む場所と餌を与えられ、安穏と暮らすことができる。プライドの角を折って丸めてしまえば、あとは楽に生きることができる。「自己肯定感」が強すぎる人間は、むしろ生き難い。

ん? と思ったのは、
レギュラーになれないと思ったら他を探すのも
負け犬と言えないかなと。

NPB出身の野手がMLBでなかなか活躍できない一因は、エリートであっても日本の選手は、どこかでプライドの角を折って、負け犬根性が沁みているからだと思う。

フィジカルの差を考えるとけっこう活躍してると思ってましたが
確率的にはそうじゃないのですね?
たしかにうまくいかなかった選手もいますが
野茂以来、松井、イチロー、松坂、ダル、マー君、上原、岩隈、黒田とか
すごいなと思ってました。
しかしこれは知識浅いので正直よくわかりませせん。

良いことか悪いことかわからないが、日本社会はアメリカ式に変わろうとしている。
「負け犬根性」のついた平和な日本人は、どんどん片隅へ追いやられようとしている。
そして日本的に言えば「厚かましい」、自己肯定感の強い人間が、のし上がろうとしている。

ここはまさにと同意します。
憂いております。。。。

アルプススタンドで声を嗄らして赤の他人を応援している「無印」たちは、「我慢していればいいことがある」と思っているかもしれないが、50代半ばのおじさんから言わせれば、「君ら、こんなことしててええんか」と言いたい。

ううむ、
赤の他人、、、、
家族、親族、は他人でないのでともかくとして
チームメイト、同級生、OB、同郷、
戸籍上はそうですが
これら仲間意識同族意識を共有する人は、赤の他人というのは
分類上乱暴かなと。

僕は、入学以来37年間、野球に限らず母校応援してます。
そしてどんな高校でも同じように行動する人のなんと多いことか。
今年、知人の学校が、初出場かけて県の決勝で3校敗れたのですが
こんなエキサイトすると思わなかったと。
みんな野球部ではなくですが。

ましてや、2年半、毎日何時間も一緒に汗と泥で苦しんだ
仲間を声のかぎり應援したくない人がもしいるとしたら、
それは精神を病んでいるでしょう。

53歳のおじさんから言わせれば、
「君ら、こんなことできて素晴らしい!」と言いたいです。

・・・・・・・・・・・・

<甲子園出場校の野球部員数>

このエントリ、元文かいつまみますね。

調べるのは難しいだろうが、私立高校の100人を超す野球部員の相当数は、野球留学生のはずだ。

<野球留学生>が、県外勢という意味なら違います。
調べた表はあるのでみつかたら下にあげます。
ちなみに、星稜、サッカーは来ますが、野球はいまゼロ。

前の記事でのべたように、私立は特待生制度も導入している。うがった見方をすれば、彼らエリートを養うために、お金を出して補欠に甘んじる生徒が必要なのだ、ともいえよう。

うがってます。
そういうところもあるのかもしれません。
しかし、学校によりますが、OBからの寄付があったり
甲子園出た時に負けてあまったお金とかあり
もちろん学校が出すもの含め、施設等は基本それを充当。

部費は、ユニ、べーTとか用具、
移動、合宿、などで人数分そのままだと思います。


高校野球につきもののようになっている、生徒同士の暴力沙汰、いじめなどの粗暴なトラブルは、こうした「身分格差」が温床になっているように思える。

たしかに、いじめ、乱暴はとんでもないこと!
絶滅させたい。
そして。昔のように軍隊的上下関係が温床であることも同意です!
ただ、指導者や学校側の努力確実にそれは減っている!
こともご理解頂ければと。

こうしてみると、高校野球をいびつなものにしているのは、私立高校だと言えそうだ。

何事もニーズがあって、供給が生まれる。
甲子園という憧れの舞台があり、
そこにどうやったら出ることができるか子も親も考える。
そして、野球に力を入れる学校、
アツイ指導者、名監督などがいて、そこを慕って選手が集まる。

しかし野球が強くなると、学校側は
<もう有名になって入学者増えたから勉強だ>となって
野球は弱体化。そういうところもあります。

桐蔭や東海大相模も当初からそのような流れで
でもまた一歩進んだリクルーティングや入学システムを構築し
また全国の強豪に。
また、慶応高校の勉学双方のリクルーティング知ってすごいなと思いました。

私立学校がいびつにしているとしたら
公立だけでやったらいいのかというのとは
また違うし、仮にそうなっても
<あの舞台に立ちたい>というニーズがある以上
同じ事になるのではないでしょうか。

強豪校に集まる選手たち自身は、
純粋に野球が大好きで、そしてひとつでも上に勝ち残りたいと
仲間たちと日々キビシイ練習を重ねている。

主役は常に、控えも含めた。選手たちです。

★この記事アップ後、広尾さんが、コメントコーナー設けてくださいました。
 早々の誠意あるリベラルな対応ありがとうございます。
 僕も極力レス付ける所存です。いま17人ぐらい書いたところです。
 <石黒謙吾さんの文章、読んでいただきたい>

・・・・・・・・・・・・・・・・・

★これに関連したことを、この本の中に書いてます。
 7人の共著で僕は以下の3本

●サル型人間の対応力「分類」でヒモ解く、八潮創太と捕手の適正
●常勝のカリスマ 「桐生監督の選手掌握術」
●「野球部員今昔物語」不良の巣窟から優等生のたまり場へ

↓ ここに詳しい内容説明あり
『ラストイニング 勝利の21か条』─彩珠学院 甲子園までの軌跡─

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