ライターの質の低下は、編集者の気概とプライドと力量の低下だろう
ライターの質の低下とよく耳にするけど、
それは、そんな原稿を通してしまう編集者の気概とプライドと力量の低下だろう。
自分が産みだしていくページや本に、
こんな、面白いとか以前に日本語としてどうなんだという
原稿を載せるのは恥だと思わないと。
そして、自分の時間を削って、論理的に、
かつ熱意を持ってディレクションしていかないと、
ライターも本気にならない。
人の原稿に対するディレクションは粘りがいる。
自分で直せても直してはいけない。
その人が理解できる言葉で、この論旨や文のつながりがどう違っているか、
を伝えていく知的で人間くさい作業です。
最初はできなくて当たり前。
でも、ライターに露骨にいやな顔されたり、
全然原稿が直っていかなかったり、
次々と送られてくる原稿の質の低さに愕然としたりしながら、
編集者のスキルとマインドは向上し続ける。
それは、地道で地道で地道な戦い。ライターではなく自分との。
その戦いの中から、自分が書く文章の未熟さを思い知り、
かつ、文章の構造への理解が深まる。
つまり、間違っていない文章は書けるようになる。
面白いという尺度ではなく正しいという部分だけど。
取材を受け、確認で送られてくる自分の記事を見て、
愕然とすることがだんだん増えています。
このレベルはあんまりだと。
そんな時、失望が向く先は、ライターではなく編集者。
こんなものを通すのかと。
ディレクションしたり直したりする労をとらない、ラクしたい。
ビジネス的な成績や効率を、会社から求められている状況では、
いかんともしがたい、と思いたいが、
それでも土性骨がしっかりしている編集部、編集者はそんなことはない。
読めば一目瞭然。
偉そうに言っていますが、
多少は許していただけるかと思うのは、少なくとも体験があるから。
自分の22歳から10年間の雑誌生活で、
ライターとしては、けちょんけちょんに延々直しをくらい、
編集者としては逆に、たくさんの人にそうやって接した。
目の前で、書いた原稿に、真っ赤に朱入れし、
さらに大きく「ヘタ」と書いて戻したり、ヘタさにあきれて破ったり。
そんなことは決してほめられることではないとわかっているけど、
その人をなんとかしたいと思う熱意は
いつか必ずわかってもらえると信じていた。
「石黒、いつか殺してやると思ってました」と笑いながら言われたのは、
徹底的にけちょんけちょんにやっつけていたライターの初の単行本ができあがった時。
10年後ぐらいだったか。
そのライター氏の思い出。すでに発売になっている雑誌に彼の原稿があった。
あまりにも稚拙だったので、
コピーして、朱字で真っ赤にして家にFAXしたことも。
それは彼に対してではなく、こんなしょぼい原稿をよくも通しやがったな。恥を知れ。
そして、会社員のあなたはいいかもしれないが、
フリーで食っていく彼のためにこんなことはやめてくれ、
と言う、その雑誌編集者に向けてのメッセージでした。
以上、書いていたら一気に熱くなってお目汚し失礼しました。
あ、いまは、菩薩のような編集者ですので(笑)。