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2010.8.30 編集者部

『JJ』『can cam』の読者に伝えたいシベリア抑留の本

企画思いつきから5年弱かかった本が、8月末、刊行に至りました。
『キャンバスに蘇るシベリアの命』
(絵・勇崎作衛 構成・石黒謙吾)創美社・発行、集英社・発売
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勇崎さんの絵と話を知ったのは2005年秋に放映された深夜のドキュメント番組。
叔父がシベリア抑留者ということもあり、何かに衝き動かされるように、
翌朝早くに制作した札幌テレビに電話し、
勇崎さんの娘さんにつないでいただき、すぐに病院に会いに伺いました。
描かれた絵がお寺に置いてあるということで、
これまたすぐに撮影に伺い、朝から夜遅くまで丸々2日かけて撮りました。
企画が通るかどうか未知数でしたが、とにかく撮って見せなければ始まりません。
フィルム・現像代など8万円はまずはリスクとして氣合いも入れようと。

↓ 8/13に、札幌テレビのニュース番組でオンエアされました。
  僕が事務所と、勇崎さんを訪ねたところを取材された映像です。

シベリア抑留者だった勇崎作衛さんが(現在87歳で寝たきりです)、
60歳を過ぎてから独学で描き始めた油絵、87枚を掲載。
それぞれの絵についてのリアルな体験談や思いは僕がまとめました。
といっても、勇崎さんが残したメモや文章、資料を複合的に整理して書いただけなので、
気分的にはゴーストライターです。
僕が初めてお会いした5年前にはすでに勇崎さんは
ほとんど話ができない状態でしたので、取材ができなかったのが残念でしたが
結果的にこのやり方をとらざるをえなかったことは、
より客観視できてよかったのかもしれません。

企画を思いついた最初から頭にあったのは、
若い人たちが「難しくて暗い話だよね」と敬遠しない本を造ろうということ。
特に戦争体験者の孫やひ孫世代の20代〜30代の若い世代が、絵を見て、体験を読み、
戦争のリアリティを感じてもらえる佇まいの本を。
装幀も、若い女性でも抵抗なく手に取れるものをと川名さんに話を。
何が起こっていたのかすっとわかるように、
絵のタイトルだけではなく、絵には内容が伝わるキャッチコピーを、
本文も語り口調でポイントを大きな字で見せようと考えました、
軍隊的、戦時的な専門用語も極力使わないことも意識して。
タイトルにも、あえて<抑留>という言葉は入れませんでした。
内容も実際、悲惨な情景を描いていますが、絵も内容も、
人の命の大切さを感じてあたたかい気持ちにすらなれるものです。

4年にわたって10社ほど断られましたが、
今年2月、創美社さんに意義をご理解頂き刊行に至りました。
深く感謝です。

シベリア抑留体験を風化させてはいけないという思いを
ひとりでも多くの方に感じていただきたいです。

↓ デザイナーは川名潤さん。すばらしい仕上がり。
 『犬と、いのち』←に続いて、シリアスなものを続けてお願いしました。

↓ 中面の半分はカラーの見開きに、勇崎さんが描いた油絵が1点〜4点づつ。
  何が起こったからわかるコピーを絵のタイトルより大きめに。

↓ あとの半分は、モノクロで、前の見開きに対応した文章を載せています。
  ポイントとなる言葉、文章を、ぱっと目に入ってくるようにデカ字にしてあります。

↓ 後ろには、勇崎さんが作った等身大人形やジオラマの写真もあります。
  絶対に風化さえないというすさまじい執念を感じました。

↓ 以下に<まえがき>全文載せておきます。わかりやすいので。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
(見出し)
生きている、ただそれだけを感謝したい

「夜中寝ていて急にかゆくなり目が覚めると、横にいた少年が死んでいた。冷たくなった少年の身体を見捨てたシラミが、自分のところに移動してきたのです」 
 勇崎作衛さんの絵と体験が紹介されたドキュメント番組を見たのは2005年秋。僕の叔父もシベリア抑留者だったせいか、この内容は感情の奥深くまで突き刺さってきました。こんな惨劇が、戦争が、人間同士の殺し合いが、二度と起こってはいけない。いのちが無残に散っていくことに対して感情が麻痺してはいけない。人間同士、生きるもの同士、他者の痛みと悲しみに目を向けなければ、欲望にまみれたごく一握りの人間の暴挙に抗することができず、戦争が繰り返されてしまうかもしれません。
 世界中の人がそう強く意識するためには、いったい戦争で何が起こっていたか、人の心に何を残していったのかを、風化させず後世に伝えていくことが最初の一歩です。それぞれの一歩は小さくても、横に並んで進めば必ず大きな行進となることでしょう。勇崎さんが半生をかけて描いた絵を見て、体験談を読むことは、子供に対してでもわかりやすく、しかしリアルに状況や情景を残していくためにとても効果的であると感じました。
 
 実際の戦争体験を親から聞いた世代、祖父母から聞いた世代ときて、今の若い人では家で身内から聞かされる機会はなくなっているはずです。直接、死と隣り合わせていた人の話には迫力があります。戦争体験者が高齢となり、どんどんと話を聞くことがかなわなくなってきている今、歴史の語り部としてメッセージを残していっていただきたい。
 中国で病院の衛生兵として働いていた勇崎さんは、1945年(昭和20年)の終戦時、当時のソ連軍のシベリア強制連行によって抑留者となりました。この本に収めた「涙を流しながら描いた」87枚の絵と体験談は、日本に帰るまでの3年間を流れに沿って再現していった貴重な記録です。
 なんらかの引き合う縁あって、戦後65年を経た今この本を手にしていただいたみなさまには、どうか、自分の愛する家族が、たった今、ここに描かれた収容所に入っていると想像して絵と文章に入り込んでもらえれば、と。子供が、夫が、妻が、彼が、父が、母が、兄弟が、極寒の地で狂うほどの飢えに苦しみ、重労働をし、人間の尊厳を失う行為を強いられていたら……。餓死、凍死、事故死などの恐怖に堪えながら生きるあなたが愛する人は何を思い何を支えに生きるのか、そしてあなたは何もできない無力感、悲しみ、絶望の中、誰かを恨むのだろうか。絵の1点1点から想像してみてください。

 戦争体験者、抑留体験者は、具体的な状況は話したがらないとよく聞きます。たとえば、自分の真横に血を拭き出した友が転がっていたことなどは思い出したくないに決まっています。そのどす黒い記憶の呪縛から少しでも解き放たれたい、と誰しもが切望するからでしょう。僕の叔父のそうでしたし、勇崎さんもそうだったと娘さんから聞きました。ほとんど具体的な事柄は口にしたことがなく、家族は、65歳を過ぎて絵を描き始めてからその作品で知っていったそうです。
 87歳の現在、勇崎さんは病床で、ほとんど話ができない状態です。5年前、番組を見てすぐに連絡を取りお会いしたのですが、少し前に脳梗塞で倒れ、以来同じ状態が続いています。それなので、本を作るにあたり、残念ながら僕自身が取材することは叶いませんでした。ただし、ご自分でまとめた画集や小冊子などに、絵に関する文章がいくつか綴られていました。同世代向け、子供向けなど、文体も長さもさまざまなもの。幅広い読者層に向けた内容にするべく、僕がそれらの文章と他の資料を複合的に整理して本書の原稿にまとめました。とは言え、当事者の勇崎さんしか産み出せない、生と死を彷徨し、ある時は無の境地に達したとさえ思わせる表現、人間の尊厳や研ぎ澄まされた愛情が迫り来る言葉や調子などは、最大限活かしています。
 
 この本が、普段戦争のことを見聞きする機会が少ない人々、特に、『CanCam』『JJ』などを読む、これから母親になる若い女性にも手に取ってもらいたい。惨(むご)さを認識することは、「いのち」「いたわり」「慈しみ」「愛」を感じることにつながっていくと思います。さらには一人でも多くの人が、自分と他人を無用に比較することなく、ただただ「生きていることそのものに感謝」できる心へ向かえば、惨劇は減っていくのではないかと。
 戦争で命を落とした数限りない人々、シベリアに眠る5万人、そして勇崎さんのシベリア抑留体験が、人の感情を揺さぶりながら世界平和への力の一部となってことを願っています。

             2010年7月          石黒謙吾

謝辞

快く勇崎さんをご紹介いただいたドキュメント番組を作られた札幌テレビ放送のディレクター、長田真博さん。許諾等協力いただいた勇崎さんの娘さんである鈴木睦世(ちかよ)さん。抑留者のための支援活動を推進している全国抑留者補償協議会の有光健さんには、刊行に合わせての展覧会開催にご尽力頂きました。大澤さんはじめ発行元の創美社のみなさまには刊行の意義をご理解頂きました。この場をお借りして深く御礼申し上げます。ありがとうございました。

↓ 二度と戦争が起こらないよう、子孫に残していってほしいと願います。

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