甲子園のレンガに自分の名前が刻印
またまた甲子園ネタです。
どうしてもこの季節、燃えます。
遊学館の1回戦、一関学院戦の大勝含め4試合12時間、堪能してきました。
2回戦、関東一高戦は、仕事溜まり過ぎて断念したら敗けてしまい。。。。
やっぱオレが行ってベンチ裏でメガホン持って選手より大きな声で激飛ばさんと敗けるな、
ってそんなことはないって。
この画像、○がついてる人の向かって右が、僕です。
いつもこの席に座ってるので、監督を抜くカメラにしょっちゅう写るらしい。
昨年秋、練習試合で大勝した相手でしたが、いや、強かったです。参りました。
カンイチの米沢監督の同期が草野球仲間です。
その代のカンイチは、春に大勝していたエース高橋尚典の修徳に決勝で敗けて
甲子園に出られませんでした。
その同じ高校相手に、今年は決勝で雪辱!
しかも監督が、その時の最後のバッターというなんともドラマチックな今回の出場です。
かなり思い入れあり応援してる高校ということで、こうなれば優勝してほしい。
ガンバレ関東一!
ここに←書いたように、トイレで着替えて頭とシャツ洗って最前列で干す、の図。
どっしり感のあるノックが特徴、恩師・山本監督。
ベンチ真後ろなので、ほとんど控え選手の気分です。
試合開始前後は金網越しにさっと話したりします。
勝って校歌流れてる時。
中央が山本監督。向かって右が、中川部長。
中川部長は、星稜OBで、山本省吾で準優勝した時のサード。
かっこよかったなあ。
その後、千葉大など経て、遊学館コーチ→部長に。
8/7のブログに←書いたとおり、
ここ15年ほど毎年甲子園に2日で8試合48時間“住んでる”身としては
甲子園球場そのものに対して、感謝と言うか敬意と言うか、
血縁を感じるような根源的な愛情があるわけです。
そんな思いを持ちつつ生きる僕が、
2008年夏、サイトのニュースで←あるプロジェクトを発見!
KOSHIEN NAMING BRICK MEMBERS ←「甲子園のレンガに名前を残そう」という企画。
甲子園改装工事に合わせてスタンド外周に敷くレンガに
自分の名前やメッセージを刻印できると言うもの。
2万円で10年間残り、先着3万人限定とありました。
超金欠にも関わらず、これは何が何でも残さねばと、初日受付開始の10時にアクセス。
しかし、相当アクセス集中していたと思われなかなかつながらず結局、
1時間近く経って受付終了にこぎつけましたよ。
刻印文字はローマ字と数字で、3段以内という決まり。
いろいろ考えましたが結局シンプルに
ISHIGURO KENGO
SEIRYO
としました。
野球部OBではないのにやはり星稜と言えば甲子園と言うことで。
ちなみに、星稜野球部で甲子園出た選手は2人います。
箕島との延長18回の時のセカンド、石黒豊君。
山本省吾で準優勝した時のライト、石黒達也君。
僕、自分の草野球チームでは星稜そっくりのユニなので
ファーストランナーになった時に「あの石黒さんですか?」と言われたことあり(笑)。
箕島戦から20年以上経ってからですよ。よく覚えてるなあ、高校野球ヲタクは。
名前検索してたら、→箕島戦のスコア&詳細レポ発見!これは貴重。
その申し込みから1年半以上経った今年春。
ついに、<シリアルと証明書>が送られてきました!
雲は湧き光り溢れて天高く純白の球今日ぞ飛ぶ若人よいざまなじりは歓呼に応え
いさぎよし微笑む希望ああ栄冠は君に輝く、と喜び勇んで開封。
じゃじゃーん。重々しくファイル登場。ファイル・ヒットラー!
開くと証明書が。シリアル,A1-442
A1って相当早く申し込んだということだと思われ。
おお! 甲子園の土! サービス精神やるねー。芸コマだなあ。
ケースばらして床に捲いて泣きながらシューズ袋に入れようかと思ったけど、
誰も見てないのでとどまりました。
ここに敷かれてんでー、という案内もごていねいに。
僕が見ている三塁側ベンチ裏からはもっとも遠い場所。
ライトの後ろ、23号門あたり。
実は先日行った時、この紙のことすっかり忘れてて、なんともマヌケにも
急いでたので発見できず(笑)。よって現物の写真なし。。。。
12月に「甲子園のグラウンドに立とう」というイベントがあると書かれている。
自分の行動的にイヤな予感。。。
この招待券も慌ただしく往復したので使わず。
かなりいいらしく、次は必ず行く!
と、いうわけで、
あと9年半、甲子園に自分の名前が残ってるわけです。
この事実が心地よい。
高校球児ではなかった後悔を胸に、
草野球から、高校野球から、甲子園から、
人生のいろんなことを教わってきました。
その感謝の気持ちを形に残せたような気がしています。
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