誰もが、明日、絶対に生きている保障はないわけで
19日月曜は父親の三回忌だった。
去年の6月に産みの母親も三回忌で、法事が2年続いたので
これでなんだかすっきりというか肩の荷が下りたような気持ち。
そんな春だけど、昨年秋から患った頚椎椎間板ヘルニアヘルツェゴビナは
首の牽引コスギによる美空リハビリの効果もあがらず、
MRI撮って詳しい診断待ちの状態。
早く治して来年は野球してーよー!なのでなんなら手術かなあ。
でも頚椎にメスとかやっぱりこわいねえええええ。
MRI、初めて撮ったけど、結構時間かかるんだね。
15分間、ツタンカーメン王気分で寝ててヒマだったので、
「MRI付きカプセルホテル、いいじゃん!」と思いつきニヤける。
先日、下北沢踏みきりで自転車横転した時、
頭部をたぶんレールで強打したんだけどヘルメットしてたので命拾いしたと思った。
これは本当にこわいなあ、死んでても不思議じゃなかったよと。
そんなこの頃、ヘルニアやら転倒やらあり、2年連続親が他界麻巳子したからか、
また、巨人・木村コーチ逝去の件もあったりで、
「自分だって、明日死ぬかもしれないよね」
と、暗いとかカラ元気でなくニュートラルな感覚で捉えるようになった。
どんなに気をつけて道を歩いていても車が突っ込んでくるかもしれないし、
ビルの上から鉄骨が落ちてくるかもしれない。
事実、数年前、渋谷センター街入り口でアーチが落ちて
死者が出たんじゃなかったっけね。地震ももちろん想定内。
そう考えるようになって自分自身が、
やけにすっきり、執着が取れて生きている気がする。
もともと危険なほど楽天的でそれは半ばヤケみたいなところがあったが
今のは、もうちょっと前向きに!?臨終ということを見据えている
ってなんか宗教チックになってるけどそうではなくて(笑)。
明日も生きていられるならば、その日を精一杯生ききろうと。
ガッツクのではなく、身の程をわきまえながら、ポジティブにがんばろうと。
大きな目標は持ちつつも、その日その日、やるべきことを地道にこなしていきたい。
だからなのか、→自分の人生や→仕事のアーカイブ的なことに気がいく。
家と事務所、持ち物、資料、アルバムなど、整理整頓&分類の行動が増えていた。
突然死んで、どこに何があるかわからないという状況想像するとイヤだし。
そして今かなりすっきりしたところまできている。
あ、借金以外は…ってそれが一番大事やろがジブン!!!(笑)
常識外れに先行きが見えぬ生き方だと思うけど
まあ、日々、やるべきことやってれば不安は消えていくだろうと楽観視。
先祖からつながる生に感謝し、今まで接してきたすべての人々に感謝していると
以前よりずっと、日々、ニコニコして暮らしている自覚がある。
執着を捨てて人目を意識せず自分らしく、でも迷惑かけず不快にさせず、
自分が携えることができる枠の中で、幸せを見つけエンジョイして生きようっと。
明日死んだらそりゃもうしょうがないよね。
生かしてもらえてるんだったら、人を心地よくしていたいし、
少しは人の幸せになれることに関わりたい。
明日死ぬかもしれないから、怒ったり暗くなってたらもったいない。
それじゃ自分が楽しくないからなあと、ね。
あからさまに不機嫌そうにしてる人見る時、ふとそう思う。
とりとめのない備忘録的つぶやきを。
とかいってたまたま今晩死んだら、すげー予知能力!とか騒がれて、
このブログをまとめた本がベストセラー!!で借金返済!
っておいおい強烈な執着なんですけど……。