ジーパンのリペア、エコの意識
今朝は9時にジーパンをリペアに出しに行った。
今、持っているジーパン4本あるんだけど、
1本、その翌年に1本というふうに膝か尻が破れ、昨年は3本目がアウト。
そして先週4本目の膝もぱっくり開き、ついに履けるものが払底。
ちなみに4本とも「KATO」。
8年前に京都に行った際、知人に薦められて履き始めた。
それまで20年間ほど「Lee」オンリーで、
ワイルドでなければジーパンに非ズ、みたいな凝り固まった志向だったから、
最初は、「なんだこんなこまっしゃくれたジーパンがあ!」
とガンコジジイのように見下して履いたのだか、
1回履いて、はきごこちのよさとシルエットの美しさにやられて、
カミサンとともに8年前からはすべてここのものを履いている。
で、いいには間違いないのだが難点がひとつ。
価格がざっというと1本2万と僕にとってはかなり高価。
だから買うと言ってもそれは一大決心なわけ。
となると、やはり直して履き続けたい。
昔はいきつけのジーパン屋で直してたんだけど、今なくなってしまった。
そこで「ジーパン 修理 渋谷」で検索したら、拍子抜けするほどすぐ見つかった。
直しで商売にならないから他にあまりないのだろうね。
サイトの説明読んでたら、店主の誠意と言うか自負と言うか
ちゃんとした人だなあ、と思わせる文面にも惹かれてさっそくメールでアポ入れ。
場所はチャリ通勤途中という願ってもない立地ブラックモア。
ココがそのナイスな工房「ソフトハウス」
直し料金は、4本で合計、1万1500円。
高いっ! と思うだろう。僕ももちろん、イテーなあ、とほほ、、、、だ。
人のいいリペア屋のおじさんも、
「ユニクロなら990円で売ってるからそれでいいのならそれを薦めますね」
とぶっちゃけて言う。
たしかに4本買っても4000円。
1万1500円出せば11本…そんなにいらんて。
しかし、捨てて新しいの買うことの「MOTTAINAI」感、
いつまでもモノを大事に使い続けることでのモノへの愛着と
長い目で見ての環境問題的意義などなど、とても捨てる気にはなれないし、
捨てなければ直して履かなければとっておく意味がない。
他の服はそこまでストイックに考えず、あきらめることもあるが、
ジーパンだけは昔からそれができない。
愛してるんだよね、ジーパン。
ジーパン、革、インディアンジュエリー、ウェスタンブーツとか、
アメ横にあるようなものが好きなのよ。
小5でジーパン履き始め、中学校以降はほとんどジーパンで過ごしてきた。
金沢、アメ横のジーパン屋、買わないのにひたすら通った。
特にワークっぽい「Lee」が好きだった。
中学〜高校の頃は当時誰しも感化されたであろう、
「ジェームス・ディーンも愛したリーバイス501伝説」
にやはりなびいて履いたりもしたが、もっと泥臭いのが好きだった僕は、
「股上がぐっと深い「Lee」の、ブーツカット、
ガシガシ度詰めされた16OZとかが好きだった。
トップスも「Lee」のストームライダーで決まりで、その時はボトムスはコーディロイと。
雑誌編集者だった8年間は、
仕事柄急にちゃんとした相手に会うこともあるのでチノパンが多かったけど、
その頃以外はざっくり言えば、5〜9月=短パン+ビーサン、10〜4月=ジーパン
だけで過ごしている(笑)。
「KATO」のではなくても昔からジーパンは何度も何度もリペアして履いてきた。
上京から3年半バイトしていた名曲喫茶の2つ上の先輩で、
東京デザイナー学院に行ってた林さんって人が僕のファッションリーダーなんだけど、
その林さんからもらった
「ラングラーのダブルステッチ」(脚の外側にもステッチあり)は
僕がたしか3オーナー目で、もらった時点でぼろぼろだった。
それはものすごくレアなものだったので、直しを重ねる事10回以上。
オーバーでなく風化寸前、ふっと息を拭きかけたら崩れそうな状態までに。
最後は、布の傷み具合を見かねたジーパン屋に
「直してもいいですが、何回か履いたらまたここ戻ってきますよ(笑)」
と言われ、20歳から35歳まで履いていた思い出の品を捨てた。
その時は、さみしさとともに後ろめたさもあった。
昨年、『物には心がある。』という本を作ってから、
布を大事にしようという意識がますます高くなった。
昔の人は、木綿もそうだが麻しかとれない地域などで、
貴重な布でできた服などを、破れても継ぎ足し継ぎ足し、
代々大事に引き継いで使い、そこに家族の想いも染み込んでいった。
たかだかジーパンのリペアを外注しただけで
そんなきびしい状況とは違い過ぎるが、
大事にしないとな、とこの程度少しでも考える時、
昔の人々、世界中の物のない人のことを考え、
いたわりの気持ち、感謝の心が湧く、それがいいなあと思う。