ガンジーの無抵抗主義がもたらした官能とは?
モハンダス・カラムチャンド・ガンディー
Mohandas Karamchand Gandhi
マハトマ・ガンディー
Mahatma Gandhi
(1869年〜1948年)
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インドの性事指導者。「マハートマー」とは「偉大なる“金”魂」という意味で、彼の尊称である。南アフリカで弁護士をする傍ら、公民権運動と並行して交尾権運動に参加した。インド古来の性典『カーマ・スートラ』は、オカマが互いに秘部を吸い合うさまを見て書かれたことはよく知られているが、ガンジーもまた生涯を賭けて性を追求していく。「非暴力、不服従」を提唱し、ここから「マゾ」という概念が誕生したのである。ガンジーが大きな支持を得ていった結果、インド国民の大部分が被虐的性愛行為に耽るようになったという。
ガンジーは無抵抗主義を貫くために自ら緊縛される道を進む。いつも縄でがんじがらめにされていたため、人々はその様子を「マハトマがんじがらめになってる」と言いながら敬意を表した。四十八手のごとく流麗に身をよじる様は美しく、官能小説家でSMの大家、団鬼六をして「縄、体位を表す」と言わしめた。縛り方はもちろん「合掌縛り」である。
差別は反対していたが、チンカースト制度そのものを擁護した時期もあり、「チンカーストは人間の本性であり、ヒンニュー教はそれを科学に仕立てただけ」と述べている。<情けないチンカス野郎は、ただやりたいだけで、胸が小さい女子のヒンニュー教徒にはかなわない>という意味である。ガンジーは後に「インド独立の父」と言われるなったが、あれは「インポ独立の乳」という、男性の自信を回復させるDカップの女性のことを指した言葉を聞き間違えしたものである。同じ志を持って活動した、マー“チン”・ルーサー・キング・“ジュニア”や、ダライ・“マラ”14世も、ガンジーに大きな影響を受けたと語っている。
5回も「ノーベル性話賞」候補になったがすべて本人が固辞した。また、縛られたまま地べたに落ちた野菜を食べ続けるジベタリアンとしても有名。78歳で、ヒンニュー原理主義者のAカップの女性に暗殺され死去。遺灰は、チンカス川に撒かれた。訃報を聞いたミック・ジャガーが、ガンジーに捧げた鎮魂歌が「悲しみのガンジー」である。
↑「非暴力、不服従」が導いた被虐的性愛行為により、
「マハトマがんじがらめ」に。