金沢人 冷奴の流儀
金沢といえばまっさきに思い浮かべるのものは何かと問われれば。
兼六園でも犀川でも白山でも21世紀美術館でもない。
治部煮でも寿司でも金箔でも友禅でも和菓子でもない。
泉鏡花でも室生犀星でも前田利家でも田中美里、、、でもない。
冷奴である。
冷奴という食べ物は、和辛子だけをつけ醤油を少したらして食すもの。
18年間、それ以外の食べ方があるとは考えたこともなかった。
上京して、定食屋で出てきた冷奴には葱とかつお節が乗り、卸生姜が添えられていた、
変わった出し方する店があるもんだと思い、翌日、バイト先の名曲喫茶の友人に話したら。
「えっ? どこがヘン?」と返されて初めて、関東圏では辛子で食べないことを知った。
でもその時点で僕は、東京周辺以外、おそらく関西以西とかはたぶん辛子派だろうと考えていた。
それ以降、知り合った人と出身地の話になると必ず、
冷奴に何つける? と聞くようになる。
こうして何年にもわたってイシグロ総研の地道な調査、
フィールドワークは続いていくが、ついぞ辛子派の土地は見つかっていない。
つまり、「冷奴に辛子」は金沢だけのようだ。
偶然知り合った金沢出身者に冷奴についてと聞くと、
「そうそうそう!」と相手を探り探りだった空気は一瞬で打ち解け、
よくぞ話題にならないそのツボ突いてくれたぜと盛り上がる。
この感覚は、兼六園が美しかったとか百万石祭りってどーよ?
とかいうだだっ広い認識とは距離感が違う、リアルな共存意識の確認なのである。
同じ故郷を有する者同士の連帯感を、白いアイツが媒介する。
金沢は雑煮にも何も入れない(うち関係は特にかも)。
透明なすまし汁に、餅以外はみつばだけ。
入れても茹でた鳥肉少々。
「おいしい素材はまぜんでいいげんて」(訳=まぜなくていいんですよ)
「ごちゃーっと入っとらん、かっこ悪いがいや」(訳=入ってるとかっこ悪いだろう)
そんな風に考えるカッコつけクソ意地性質が金沢人には根強く残っていると思う。
だから、葱だのかつおぶしだの余計なものに
せっかくの豆腐の味を邪魔されたくないという感覚なのかも。
だいいち、葱とかつお節乗せるとアフロヘアみたいで汚らしいよね、
っていうのは偏見?
器の中で白く四角いものがぷるんと揺れる。
濡れてスケートリンクのように面ツルになった白い上辺中央に、
練り状の黄色い塊がこんもりと。
その上から醤油瓶を傾け褐色の液体をほんの少しだけ垂らす。
鎮座した辛子を醤油となじませながら箸で溶きつつ、
面一杯なるべく均等になるよう延ばしていく。
垂直面をつたってわずかに流れる黄みがかった醤油。
一隅を地割れのように斜めに裂いた箸に乗り、
辛子がついた冷奴が口に運ばれる。
今日も食卓の冷奴は2種。
栃木流、葱とかつお節の乗った冷奴。
金沢流、何も乗ってない冷奴。