ヤンキー 〜南米〜 新聞記者
吉永拓哉、その半生

1977 博多で生まれる(父はコーヒー会社経営 母は料亭の娘)

1991 中学校2年生で学校側から登校拒否される(原因は校内でのシンナー吸引)

1993 15歳で背中に龍の刺青を彫る

1995 福岡市内の指定暴走族グループで副総長を務める

1996 定時制高校2年生で中退(原因は校内でのマリファナ吸引)

1997 逮捕され、少年院送致される
    罪状:覚せい剤取締法違反、共同危険行為(暴走行為)、暴力事件
    少年院で20歳を迎える(仮退院後、社会復帰を目指す)
    新天地を目指してラテンアメリカ大陸へと渡る

1998 エクアドルのバナナ農園で働く(外国人から拉致されるが、間一髪で脱出する)
    ペルーの民芸品店で働く(アンデス山脈を旅する)
    ボリビアのコチャバンバ市で不法入国容疑で連行される
    (後に誤解が解けて釈放される)

1999 ブラジル東北部でラブホテルの従業員となる(ブラジルに愛着を抱く)

2000 日本に“凱旋”帰国(日本と南米の架け橋役になることを決意する)
    地元福岡で不良少年改心の会「フロンティアクラブ」設立
    南米の物産販売会社を設立 「エクアドルの日本人」を自費出版

2001 ブラジルの永住権を求めて、再びブラジルに渡る
    アマゾンの奥地に住み、日本移住者から世話を受ける
    ブラジル南部のカウボーイの町に移る(まったく日本語を話さない日々を送る)

2002 一時帰国(福岡に滞在したフジモリ元大統領のSPを務める)

2003 ブラジルのギャング団に命を狙われる(間一髪で日本に逃げ帰る)
    商談のためペルー、チリ、アルゼンチンを渡り歩く(これを機に再びブラジル永住を志す)

2004 ブラジル永住権を取得(直後にブラジルへ戻る)
    ブラジルの日刊邦字誌「サンパウロ新聞社」に入社(巧みな語学力を生かし社会部記者に)
    ブラジルのテレビCMに採用される(フィリップス省エネ電球の宣伝で僧侶役)

2006 日本へ帰国。サンパウロ新聞社福岡支局を設立
    NPOチャレンジ・ブラジルの福岡支局を開設
    元ヤン・イラストレーター、コラムニストとしてデビュー

2007 新聞連載のためブラジルへ出張、アマゾンの奥地をバイクで行く
    強盗団による銃撃戦に巻き込まれる(神のご加護でまたまた命拾いする)
    イラストレーター3兄弟の血族事務所「スタジオ江戸マッチョ」を設立