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2010.3.1 ネタエッセイ部

或るバツ2女性の死

2007年初夏、僕のメルマガに書いた文を
自分のたいせつな記憶として残す為にも載せときます。

・・・・・・・・・・・

知人がなくなった。
5月22日火曜日午前8時30分。
享年65歳。
僕が知り合ったのは14年前で、
その頃から、彼女はずっとひとりぐらしだった。
寺岡恵美子さんという名前だったので、
僕と妻が彼女の話をする時には、
親しみといたずら心から「エミリー」と外人っぽく呼んでいた。

狭い2DKのアパートを訪ねていくと、
部屋はいつもきちんと整理整頓されていた。
ベランダには植物も並んだいかにも女性らしい部屋で彼女は、
質素に20年間を過ごしていた。ひっそりと。
朝から午後までは、工場の食堂で炊事の仕事、
夜は飲食店とずっとかけもちで働いていて、
「年齢とともに働き口がなくなっていってね」と、
自嘲気味に笑う顔が浮かんでくる。
50歳近くまで温泉のコンパニオンをやり
そのあとはその派遣を取り仕切る仕事をしていたのだが、
それも10年前にはやめたようだ。

エミリーは、19歳で結婚、出産したが、24歳で離婚。
5歳の男の子は父親が引き取った。
その数年後に再婚してやはり男の子を産む。
しかし、20年も経ってから
子供も残して家を飛び出すように熟年離婚。
バツ2で、ふたりの子供も離れて暮らすという状態の、
事実上身よりがなく自活する人生を送ってきた。

ひとり暮らしで疲弊した体だったはずなのに
しっかりと食事している感じがなく心配していたら、
1年前に、やはり病魔が彼女を襲った。
膀胱ガンがみつかった時は、
リンパにも転移し第4ステージだったらしい。

長くないかと思われたが、
いったん90%までガン細胞がなくなった。
しかし、今度は骨に転移し、3月上旬には立てなくなり入院。
寝たきりとなり、それからは3ヶ月ともたず、
エミリーは還らぬ人となってしまった。

知り会って間もないというのに、
「ヴァンドーム青山」のお店の前で「コンドーム青山」
とダジャレを言って笑うフランクさが好きだった。
パチンコが好きで2万取ったとか3万すったとか語る
破滅的なところも魅力だった。
折れそうなほど細くて小さい体のどこに入るのかと
思うほどごくごくとおいしそうにビールを飲む姿がかっこよかった。

彼女の部屋のテレビの上には常に、
細い目が母親似の長男の写真があった。
酔いが回ると必ずエミリーは
何もしてあげられなかった子供に対するうしろめたさと
何かしてあげたいんだという熱い想いを語り、
僕はそれをビール片手に黙って聞いた。
彼女に喜んでもらえることは、年に一度ぐらい、
いつもひとりぼっちの部屋に話相手として上がり込むことだけだった。

最期のお別れとなったのは5月19日土曜日。
狭い個室のベッドの横で僕は2時間過ごした。
何度か腕をさすって起こそうとするが、
相当に衰弱していて、ずっと昏睡状態。
立ち去らねばならない時間が迫ったので、
少し強めに腕を揺すると、目が開いた。
酸素吸入器を外そうとしながら僕のほうをしっかり見て、
もごもごと聞き取りにくいが何か言おうとしている。
エミリーは、骨と皮となった腕に添えた僕の手のひらを
なでる程度の弱々しさで握り、絞り出すようにうこのことばだけ、
なんとかうめいた。
「ありがとう」
「うん、うん。またすぐ来るからね」
僕がそう返すと小刻みに顎を動かしてうなずき、
それからまたゆっくり目を閉じると、
大きく息を吸い込む音だけが何度も続いていった。

病院を立ち去り、小松から羽田に向かう飛行機の中で、
僕が生れてから誰にも、一度たりとも呼びかけたことのないあのことばを、
彼女に面と向かって言わなかったことを思い、眠るふりをして上を向いた。
やせ細ったエミリーの顔を思い浮かべ、心の中で呼びかけた。
「おかあさん」

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ココと関連性深いのであとから読んでみてください。
あと、ココも参照すると話のつじつまが見えやすいです。

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