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2011.2.1 編集者部

小説「微笑がえし」に思う

昔はよく言われていたのが、
「小説家志望だったがなれなくて編集者になった」という話。
しかしあれは、文芸誌しかなかった大昔のことであって
少なくとも1960年代以降はそんな現実はなくなっていたんじゃないかな。
僕の知人の編集者にもそんな人はほとんどいない、と思う。
編集者に向いているタイプと、物書きに向いているタイプは、明確に分かれる。
だって、真逆を向いている仕事とも言えるわけです。

小説を書きたいなと思っている人は多い。
けど、僕は一度も書きたいと思ったことがない。
読むのは好きだけど書くのは別。
もっと言うと、文章を書くという行為が好きではない、というかかなり苦痛。
子供の頃から日記は一切書いてなかったし、
何かを書きたいという衝動に駆られたことはなかった。

チャート関係や発送系、クリエイティブバカネタを書いている時は楽しいけど、
あれは<考えたことをアウトプットする>ことが楽しいのであり、
特に<書く行為>が楽しいわけではないのです。

原稿を読んでさらによくなるようにディレクションしたり、
企画を思いついたり、有能な人を見つけたり、
そういう編集的仕事はいくら重なってもつらくはないけど、
ひたすら人とコミュニケーションとらずに書き続けるのは向いてないと心底思ってます。

その最大の理由に、中学生の頃気づいていました。
<考えついたことを自分が書く文章がスピードとして追い越せることは絶対にない>から。
前のめりに生きているからなのでしょう。
<内側に向かって深く掘り下げていく>タイプではないのです。
小説を書く才能に溢れた人は、まずはそういうことに肌が合う人。
そして小説を書くための感性や文章力を意識して磨いている人。

僕は思いついたら次に進みたくなるので、
原稿をブラッシュアップする作業にストレスを感じるのです。
もちろんよくなっていくのは楽しいけれど
やはり文章は莫大な時間を食うので、その間に思いついたあれこれが
何も進んでないということでフラストレーションがたまる。
しかも自分の連ねる凡庸なストーリー、言葉、文体を見返し
自分がすばらしいと思う小説との差に嫌気がさす。
ママゴトみたいなものですから。

同時にいろいろなことを考えているのが楽しい。
『PENTHOUSE』誌記者時代も、
撮影セッティング、ディレクション、打合せ、デザイン回しなどは
たぶん人並み以上の量とクオリティでこなしていたと思うけど、
原稿を書く段になると、ぴたっと止まってよく仲間から面白がられてました。

芸大3浪で油絵の道をあきらめてから、いまさら普通の大学入れるわけでなしと、
いきがかりじょう、資格のいらない出版の世界に潜り込んだ。
もちろん絵の次に本や雑誌が好きだったからだけど
それとて、伊藤蘭に逢いたいという動機も多分にあって。
その後、なんとかやってこれはしましたが、
ふと考えてみたら、オレ、けっこう無理して生きてるかな?
もっと楽しいこと置き去りにしてるんちゃう?と。

50歳を迎えるにあたり、
そろそろ<原稿を書く>ことを仕事のメインにすることは
身体と心によくない、残る人生少しずつアートの方向に進もうと決めました。
今できること、やりたいこと残しつつシフトをゆるゆると。
といっても、生活しながらなので牛歩だと思うのですよ。
ただ、こうやって外に発信して、自分を覚醒させようと。
偉大な25期後輩、本田圭佑のように。

そんなことを考えていた昨年秋、
『PENTHOUSE』誌の仕事仲間で27年来の知人、後藤君から
「小説を書かない?」と電話が。
以前『犬がいたから』←を書いた時に、
自分がいかに小説に向いてなくて、もちろん才能もないかわかっていたので即座に断った。
「ごめん!無理。おれ、目茶苦茶向いてないし、苦痛なんよ」
オーバーでなく、他のジャンルの原稿とは比べられないほど遅く、
かつ書いている間つらかったから。
しかし、ちょっと聞いてみると、
3年前の僕のメルマガにあった、産みの母親のこと←を書かないかという。
二度と小説を書かないと決めていたけど、
実はこの話だけは、自分のためにちゃんと何らかの形として残しておきたいと思っていた。
さらに言えば、メルマガに書いてはいなかったが、母親のこと以外に、
キャンディーズ・ランちゃんのことも深く絡んでいたからです。

後藤君とは、ここ数年、ごくたまに合ったり電話したり程度だったけど
3年前のメルマガを覚えていて、機会がきたところで
小説ド素人の僕に声をかけてくれたことも嬉しかった。
そして、自分がが小説を書くとしたらただその1点しかない
ピンポイントのところを突いてきたことがすごいと思った。
そして会ってゆっくり話して、1年連載の長編を書くことに決めた。
それがこれです→「微笑がえし」
そう、キャンディーズの最後のシングルのタイトルですね。

昨年末まで重い書籍の仕事が1冊あり、まずプロローグだけで勘弁してもらった。
あとは半月に20枚だが(400字で)たいした分量ではない。
通常の原稿ペースなら早ければ10〜12時間ぐらいか。
年が明けて、全体のプロット、ハコガキみたいな物はできて、
いよいよ書き始めたが、予想通り苦痛で苦痛でたまらない。
体調不良や身内の不幸も重なったこともあるが、
この原稿のファイルを開いたまま逃避し続ける日々が続いてすでに1ヶ月。
これが進まないと他の仕事もできず、経済的にもすぐに干上がってしまうのだ。
これはいよいよまずい、、、どうしうようと、
昨日は一晩眠れずに、やめさせていただくことも考えたが
まずは後藤君に電話して、今日の夕方お茶してもらうことにした。

そこでこうしてブログに書いてしまおうと思った。
なんとか自分で追い込む術を工夫せねば。
年末までに、400枚の長編を書くよう建て直してみる。
原稿の仕事に自分なりにふんぎりつけるためにも。
さあ、果たして進むのだろうかという弱含みなウツ気分を払拭するためにも、
映画になったらいいな、とか夢も膨らませつつ。
あ、主演、伊藤蘭! この夢でなんとかなるかもしれないぞ(笑)。
娘さん→ 趣里ちゃんもアリ?

さあ、あの世から
母親が書けと言ってると思って書く!

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