logo
2018.3.27 キャンディーズ部

石黒謙吾のキャンディーズ関連ネタ=取材受け用

★★ キャンディーズ関連取材の方 ★★
  これを読んできていただければ。
   よろしくお願いします。
<2013年のエントリですが、よく使うのでたまに再upしています>

キャンディーズ関連の取材を受ける機会が多く、
そのたびにネタが書かれたいろんなリンクとかを
事前に編集者やライターさんに伝えていました。
さらに、取材の時も、ある程度わかってきていただくと
お互いにいいので、ぼちぼちと箇条書きでネタを書き連ねていました。
で、来週月曜深夜にFMで3時間キャンディーズの話するので→コレね
これはいい機会だと、ひとつのファイルにわかりやすく並べました。
詳しくしていくとまだまだ書くことあるのですが、キリないので最低限で。
自分の備忘録的にもナイスなので思い出したら更新します。

・・・・・・・

■[日経新聞 電子版]でインタビューされた記事
<嗚呼!! 熱き我らがキャンディーズ――全キャン連・石黒謙吾氏に聞く>

■[朝日新聞 どらく]で取材された記事
<キャンディーズ解散 「普通の女の子」にファン熱狂>

■[日刊スポーツ]で取材された記事
<スーちゃんカラー「青」テープでお別れ>

■[YOUTUBE]スーちゃんを見送る300本の青い紙テープ

■[YOUTUBE]<キラキラ紙テープ極小版> 銀紙を詰める紙テープ投げ方

・・・・・・・・・・

●中学卒業後から高校2年の終わりまでの丸々2年間で、全国で100ステージ見た
●紙テープは1ステージに100本投げたり
●資金はひたすらバイト。魚屋の配達、工事現場の肉体労働、えんとつ掃除等

●ツアーは3〜4日とか同じルートでついていく。
●当時は昼夜2公演が当たり前で当然ずべて見る。
●同じ列車だったり、同じホテルに泊まったことも
●とはいえ金が続かないので移動は、列車の鈍行乗り継ぎが基本
●東京や大阪は本当に申し訳ないと今反省してるけど何度もキセルでタダ。。。
●金沢駅から同じ列車に乗って、福井駅で窓に手を振ってそのまま金沢駅に
 ただで戻ろうとしたら6人で駅員さんに掴まって、3倍の料金支払いに。
 友人が家まで取りに戻って5時間拘束された
●泊まりは、寒くなければ駅で野宿とかも
●ホテルの場合、6000円のシングル1部屋に6人とかで床にゴロ寝が基本
●一人が普通にチェックインしてあとはどさくさ紛れに
●76年夏のツアー。新潟で同じホテルに泊まった時、バックバンドMMPのメンバーに
 ロビーで声かけてもらい、部屋で呑ませてもらった
●駅で寝ていて、地元のおっさんと意気投合してスナックに連れていってもらったり
 ホモに非ず(笑)
 
幼いころ生き別れ顔も知らなかった産みの母親と
 32歳の時に合ったらランちゃんに似ていた

●父親にその話をしたら、ファンになった姿を見て、
 顔を覚えているのかもとびびっていたと話してくれた
●その母親は、2007年6月に膀胱ガンで死去
●その1年4ヶ月後、2008/10/15、伊藤蘭さんにインタビューが叶う
●朝日新聞分冊「週刊百科」1978年版の
 キャンディーズ巻頭特集のインタビュー記事を執筆
●前もって自分の思いを書いた手紙や、本を送っておくという氣合いの入りよう
●取材場所に現れて蘭さんに開口一番「読んでませんよー」と冗談っぽく
 笑顔で言われてそれはそれでうれしかった
●1時間半以上、みっちり聞くことができた
●窓際で撮影した際に、本人の横でレフ板持ってたのが最上の瞬間
●終ったあと、「仕事相手でこんなに熱くファンだと言われたのは初めて」
 と向こうから握手を求められ、もう思い残すことはなにもないと本当に思った
●キャンディーズのオリジナル・アルバム、ライヴ・アルバム全15タイトル
に収録された持ち歌全200曲を歌詞カード見ずに歌える
●カラオケでは、キャンディーズメドレーをかけ、
 一人で歌いながらコールやるという離れ業が持ち芸で間違いなくウケる

●高1の夏休みに腕にカッターで彫った傷が今でもうっすらわかる
右腕に大きく<RAN>、左腕に<キャンディーズ>
●その傷は40歳ぐらいまで、ぱっと気づかれるほどだった
●最初はマジックで書いて日焼け跡にしたいたが、氣合い漲っていっそ切ってしまえと

●市販の紙テープは1本50円だったので、仲間同士で卸業者から30円のを
 大きな段ボール単位で買っていた
ステージで銀紙が舞い落ちる<キラキラ紙テープ>を毎回30本とか作っていった
 初めて大阪で見て、投げてた人に作り方聞いたら、ただ切って詰めるだけだと言われ
 試行錯誤して詰める場所など考えて作っていた
●本人の頭上でうまく開く率は極めて低かったがうまくいった時の快感はすごいものが
投げた紙テープに、3行で<ランちゃん>書かれたものを関西で見た
 ツワモノのワザに感動し一度だけやったが、さすがにこれは一度でやめた

●ファンになったのは、デビュー時。「8時だヨ!全員集合」で見てから。
●ただし、中学生の時はテレビとレコードだけの普通のファン。
●解散当時は、金沢在住で高校2年から3年になる時
●全キャン連(全国キャンディーズ連盟)北陸支部。支部長は金沢工大の人だった
●デビューから2年半はテレビとレコードだけだったが、中学卒業時、
 1976/3/31に見た金沢観光会館のコンサートでステージの魅力にハマる。
●星稜高校入学後、同じクラスに濃いファンが2人いたことで拍車がかかる

●高校1年の夏に、小松まで見にきていた独協高校1学年上の二人組が大人で圧倒される
●「この前ヒットスタジオでミキが俺がプレゼントしたネックレスしててさあ」という会話
●彼らは全キャン連ではなく
 私設応援団「スパキャン」(スーパーキャンディーズ)のメンバー
●関西に行っていて全キャン連関西支部の同じ年の「京都商業」の2人と仲良くなる
●新潟にも1学年上の仲良しができ、さよならツアーでは4人で家に泊めてもらう

●1978/4/4 ファイナルカーニバルは前から19番目
●1塁側ファーストベースのあたりで、王がいつもここに立ってるんだと感慨深かった
さよならツアーは、金沢、名古屋、広島、岡山、大阪、新潟、後楽園、と
 九州・北海道以外7ヶ所へ

赤いスタジャンに特製ししゅう入れてユニフォームにして全国を回っていた
●背中に大きなロゴで<CANDIES>、右胸に小さく3人の似顔絵ロゴ、左腕に<蘭>
●仲間で作ったハチマキは長さ2メートル以上、幅広の特製。
●額にアメリカ製のレインボーシールで<CANDIES>1文字100円だった
●これは、ステージからだとキラキラ光って見えるのではないかという山っ気な発想

●2008/4/4「全キャン連大同窓会フィルムカーニバル」では発起人代表をつとめる
●アミューズの創設者で、キャンディーズのマネジャーだった大里洋吉さんに
 手紙を書いてこのイベントが実現
●イベントの最後では、大里さんと共にラストにステージ上であいさつ
●その前年秋に、全キャン連主要メンバーだった方がガンで死去。
 その葬儀で「微笑がえし」がかかった

●当時のキャンディーズファンを代表する存在だった松山正明さんもその場にいた
●葬儀に集まった仲間たちが、「来年、解散から30年だねと」いう話になり
 大同窓会やりたいよねと話が出た
松山さんからその話を聞き、大里さんに手紙を出し、年明けにお会いした

●イベント開催までの2ヶ月間は、ブログの管理人、ファンのボランティア等の
 まとめ役として仕事そっちのけで活動
●テレビ、新聞、雑誌など数多くの取材を受け相当時間を費やすが
 もちろんすべてボランティア(笑)
●ぴったり同じタイミングで父親が肺ガンで入院。
●アミューズのイベント担当の方が、僕が映像チェックするため病室の横まで来たことも
●イベントのあとも関係者打ち上げに参加させていただく
●作詞家・森雪之丞氏と話し、「恋の臨時ニュース」は
 「ランにくしゃみさせてみたくて書いたんだよね」とスクープ!?を取る(笑)
●バックバンドMMPのどんぺいさんが、新潟で呑んだことをうっすら覚えていて感激
イベントの終了を待ってくれていたかのように、2週間後の4/19に父親が死去
●イベントの縁から、現在、大里洋吉さんの本をプロデュース・編集しているところ

●上京し、芸大の油絵科倍率40倍目指して絵の予備校通うも早々にドロップアウト
 名曲喫茶でバイトしながら名ばかりの3浪。実際はただのバイト生活。
 ここで人生なんとかしなければと思い決めた専門学校がジャーナリスト専門学校
 これは、復帰したランちゃんにいつかインタビューできるのではないかと思ったから
●さらに、高校時代、キャンディーズが載っているからと買い続けていた
 週刊プレーボーイ、平凡パンチ、GORO、平凡、明星などで、雑誌の面白さを知ったから
●仕事を始め、講談社『PENTHOUSE』でフリー記者を4年間やり
 その間、伊藤蘭さんにインタビュー、グラビア、の出演アポを3度
 当時の事務所にとるが、内容が合わずに実現せず

●77/7/17(日) 日比谷野音での解散宣言は、夏休み前だったためそ行かず悔やむ
●しかし、仲間うちで一人だけ、金沢ー東京を夜行の急行で往復したO君がいた
●彼は、終演後、6枚しか持ってなかった10円玉で、公衆電話から金沢に電話
●日比谷公園の電話ボックスには人が殺到して大混乱でなかなかかけられなかったらしい
●日曜夜の9時頃、Y君の家に「キャンディーズが解散するってステージで言った」
 とだけの最低限の情報が入り、連絡が回ってきた。
●「とりあえずO君が夜行で戻ってくる6時半に集まろう」となり
 Y君の家に月曜早朝4人が集合、O君の話を聞き、登校前の時間ただ茫然とする
●頭がまっしろで「明日からどうしていきていけばいいんだろう」としか考えてなかった

●蔵前国技館1万人カーニバルvol.2で初めて、子供同士で東京に
●その時、ランちゃんの家を、玄関幅の写真だけで探し出した。
●『明星』に出ていた3人それぞれが家から出てくる写真で
 人間の幅分しか写ってない5センチ×3センチぐらいの小さな1枚だけをたよりに
 西荻窪駅の周りを見ていって6時間ほどかかって発見

●玄関の横に茶色い大きな瓶が写っていてそれがなかったら見つからなかったかも
●ランちゃんの家は西荻窪で、何度となく行って路地で出待ちもした。
 最初は、ハイヤーが家の前に止ると、あちこちの路地から人が続々出てくる様に驚いた
●解散後、ランちゃん実家が引っ越したとワイドショーで知り、冬休みに探しにいく
番組の担当ディレクターに<真面目なファンなのですがどうしても知りたい!>と電話
 2度断られたが3度目に熱意が通じて教えてもらい行った多摩地区某所。
●その時、たまたまランちゃんのお母さんが、犬(ジュリー)を抱っこして家から出てきて、
 「金沢から来ました」と言ったらねぎらってくれたが、緊張で話した内容を覚えてない

●全キャン連は<出待ち入り待ち追っかけ等禁止>だったが、
 環境に恵まれない地方の高校生としてはがまんできずにそこそこやっていた
●もっとも効率良く近づけたのは列車の乗り降りの時で
 駅のホームで移動するところで、近くを歩けるのが最高に幸せだった

●ファンが揃ってかける掛け声は<コール>と呼び、東京の全キャン連のお兄さんが決めて
 地方に刷り物が回ってきた。
●集まってこれを見て練習もしたが、公開録画で聴こえてくる声や、ライブで生で覚えた
●曲が終って歓声が引いてすっと静かになった瞬間
 「ランちゃんランちゃんランちゃんランちゃんランちゃんランちゃんランちゃん」
 という超早口かつすさまじい大声の掛け声がいろんな会場でウケていた
●金沢であった「8時だヨ!全員集合」の公開録画で、生放送オンエア前にそれやったら
 いかりや長介さんにステージ上から
「そこの君、ランちゃんばっかり言うんじゃないぞー」

 といじられたことあり

●上京してすぐは北千住の一つ先の小菅に半年住んでいたが、
 スーちゃんの家に徒歩10分ぐらいで何度か行った
スーちゃんの家は釣道具屋で、よくファンが電話していた。
 自分でも何度かかけたことあり、金沢向かうのは何時の飛行機だとか
 お母さんが教えてくれたほのぼのした時代
●ランちゃんの家、ミキちゃんの家も電話番号知っていたが、
 さすがにひどいことなのでかけたことはなし

●解散に際して作られたフィルム映画「メッセージフロムキャンディーズ」に
 インタビューされた声が30秒ほど収録されている
 さよならツアーで名古屋の会場に並んでいた時、インタビューされたもの
 「仲間とキャンディーズを応援する連帯感がいい」と言っているが方言丸出し(笑)
●当時のキャンディーズファンを代表する存在だった松山さんに合ったのも
 キャンディーズの話をし続けていて偶然つながった縁で
●松山さんに声かけていただき、2003年の解散記念日の4/4に
 解散当時のファン主要メンバーの飲み会にはじめて参加させてもらった時は緊張

●2008年の全キャン連大同窓会のあと、ファンの機運が盛り上がりあとおしされて、
 5月に、新生・全キャン連を立ち上げ代表に。
新しいロゴマークは、自分でデザインした。
 3色を使って3人の姿とマイクとファイナルの衣装のリボンをモチーフに
●伊藤蘭さんに2009年にインタビューした時、
 全キャン連の名刺を出したら
 「このマークは、私たちのファイナルの時のリボンですね」と言われ感激
●2009年4/4は、新宿・ロフトプラスワンにて120人のイベント開催
●2010年4/4は、こじんまりと下北沢・スローコメディファクトリーにて
2011年以降も、小規模でも必ず続けていくつもり
●ちなみに、2009年4/4に、
「全国キャンディーズ連盟」という呼称を、
 発展的な意味をこめて「日本キャンディーズ協会」へ改称
●2008年に発売された、20枚組、紙ジャケで完全復刻の
 CDBOX「タイムカプセル」では、ブックレット、附録等の資料探しなどに協力。
 クレジットも入れてもらえてうれしかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●好きな曲
【3人ともメイン系】
「オムレツを作りましょう」「ご機嫌いかが」「悲しきためいき」「黄色いビキニ」
「ラッキーチャンスを逃がさないで」「まぬけなキューピット」「内気なあいつ」
「1枚のガラス」「弱点見せたらダメよ」「ダンシング・ジャンピング・ラブ」
「ハート泥棒」「気軽な旅」「銀河系まで飛んで行け!」
「プラウドメアリー」「アイ・ビリーブ・イン・ミュージック」
【ランがメインorソロ】
「恋のタッチダウン」「恋の臨時ニュース」「PAPER PLANE LOVE」
「SAMBA NATSU SAMBA」「アンティックドール」「私だけの悲しみ」
「卒業」「MOON DROPS」「20歳の頃」「今日から私は」
「ガラスの星」「ふりむかないで」「MOON LIGHT」「黄色いカヌー」
【スーがメインorソロ】
「午前零時の湘南道路」「桜草のかなしみ」「そよ風のくちづけ」
「優しいだけじゃいや」「バイ・バイ・センチメンタル」
「ふたりぼっちの夜間飛行」
【ミキがメインorソロ】
「二人のラブトレイン」「FOR FREEDAM」「エプロンねえさん」
「あの人あまのじゃく」「恋はサーフィンに乗って」「オレンジの海」
「ITS VAIN TRY TO LOVE YOU AGAIN」「ONE BOY」

他いくらでもありすぎ……

この記事をシェアする

LIKE! LOVE! INTERESTHING!